語学と私

以下、201920年9月19日に私が書いたメモに加筆したもの。

 


 

私はいま新幹線に乗っている。大学でも自宅でもない場所に行くのは実に半年ぶりだろうか。旅をすると人はなぜか長文を書き始めるようだが、私も今回の旅をきっかけに文が出てきたので書いている。なお、旅行目的は以下の文章と1ミリも関係ないので注意。

 
恥ずかしいことに、私は語学というのを真面目にやったためしがない。フランス語に触れたのは英語より早いが、正書法規則と動詞の活用を面白い面白いと熱心に学んだもののそれだけであった。その後私はアメリカに飛ばされ、気づいたら英語を獲得。その後フランス語の学習を再開するも、なまじ現代英語がフランス語の多大な影響を受けて成立していることもあり、一旦英語を獲得すると口から出てくるのは英文を頭から訳したもの。フランス語の長文を見ても英文解析エンジンが走り、形容詞の語順で英文解析エンジンが文句を言うのでフランス語であることを再認識する。不幸中の幸いとしては、綴りと音の対応だけは幼少期からやっていたがゆえに、-tionをスヨンと読めることか。
 
さて日本に帰ってきた。9月から入れてくれる学校なんてそうそうないので、編入試験をさせてくれるところを受ける。帰国生の割には英語が上手くないが、一方で二変数一次連立方程式など解けないはずはないし、中1レベルの古典日本語は独学していたし、漢文も漢和辞典の巻末付録ぐらいは履修済みである。ということで帰国生編入試験を受けながら非帰国生の枠で入れてもらえることになった。
 
非帰国生枠で入ったことは幸運であった。まず、日本のいわゆる「文法英語」の授業を、英語に対する直感を身に着けた上で5年半受けることができた。これは数学でもそうだが、直感的把握と理論武装力は両輪揃うとかなり便利なのである。あと、これは当時の友人の顔が思い浮かぶのであまり書きたくないが、当然ながら、残りの大多数が学習に時間を費やす中で最低限の復習で確実に点を取れる科目の存在は私に多大な時間的・精神的余裕を与えてくれた。こうして、英語帝国主義の恩恵を最大限享受しながら英語帝国主義の弊害と言語多様性の素晴らしさを訴える偽善者が完成したのである。
 
入った学校もこれまた幸運であった。放課後にフランス語が開催されていたのである。たしか年500円かなにかで履修できたのではなかったか。中3と高1に履修し、高2時はやめようと思ったが、私が履修しないと開講可能人数に足りないと後輩から説得されもう一度履修したのであったか。このときの授業はかなり皆のやる気も高く、最終的には非常にゆっくりと難民受け入れかなにかのディベートした記憶がある。
 
高3は受験シーズンである。さすがに受験科目でないフランス語の受講は認めてもらえない。4月の頭あたりには受験対策塾で空き時間に粗末なフランス語で日記を書こうとした形跡が見られたが、すぐにやめてしまった。
代わりに育ったのは、当然ながら英語である。ちょうどその時は一般相対論に入門し終えたころ。相対論をミンコフスキー時空でなくユークリッド時空にして(したがって「回転物理学」と言う)、その世界上での科学史ドラマを描出するグレッグ・イーガンのSF三部作「直交三部作」(今や和訳も出版されているので、学部物理学をとりあえず眺め終わったレベルの人には強くおすすめ)を輸入して読んだ。それまでは英語の長文を読み解くことには若干の抵抗感があったが、直交三部作を難なく読み終えたことで「なんだ、読みたい文章なら読めるじゃん」という自信にもなった。一方で、前に辞書でたまたま見て「知らね~~」と印象に残っていたbode too wellという表現がしっかり出てきて、小説を読むにはやはりちょっと語彙力足りてないなとも実感できた
 
辞書と言ったが、新しく英和辞書を買ったのはこのタイミングである。その頃入った受験対策塾の英語講師に辞書のおすすめを訊き、それを買ったのである。この講師は本当に癖が強く、「これらの-usの複数-なぜ-iか?」「ラテン語の複数形に由来します」「『ブルートゥスお前もか』は」「Et tū, Brūte」「格変化全部言え!」「ごめんなさい覚えてません」「Brūtus, Brūtī, Brūtō, Brūtum, Brūtō, Brūteだ、覚えておけ!」というやりとりをしたことは今でも覚えている。
 
中古漢語の音韻的体系について良き師をTwitter上で見つけ、それを学び始めたのもこの頃である。中国語歴史言語学はそれ以前にも学ぼうとしたことがあったが、学者ごとにかなり差の出る再構音価と体系そのものの複雑さから完全に挫折していた。師の表記法は、推定音価よりも相補分布をもとに整理されたものであり、大いに学習を助けた。
 
大学。第一外国語に英語以外を選べるということを知り、第一外国語をフランス語、第二外国語を韓国朝鮮語として入学手続きを行う。ゆえに、フランス語の映画を見て、電子辞書を怒濤の速度で叩きながら話されるフランス語をなんとか解釈しようとし、発言を求められた際は英作をして頭からフランス語に訳す。確実に今までで一番フランス語をよく使った三ヶ月だったと思う。
 
ところで、フランス語は場合によっては音声から辞書を引くのがだいぶ難しい。音声ベースで引ける辞書とかないのか。

 

大学その2。日本語ができることが卒業要件「語学」を満たすので語学を取らなくていい。ということで、語学をほぼやらずに言語学だけやる生活を3年続けた。「現代ヘブライ語についての文法書を図書館から借り、全ページに目を通し、単語を1個も覚えずに返却する」みたいな。ときたまフランス語会話イベントなどが発生し、私のひどいフランス語を晒すはめになった。

 
 
 
polyglotと言語学者が別概念であることを伝える言い訳として言語学者は「スポーツ科学をやる人は必ずしもスポーツ選手ではない」と言ったりするが、とはいえ語学をまともにやったことがないのが恥ずかしくなってきたので、ラテン語を履修しようかとラテン語のできる知り合いにアエネーイスの読み合わせの手引きをしてもらうなどして準備していたら、なんとどうやら授業がキャンセルされてしまったようで履修できない。ということで、今学期ナワトル語の授業を取ることにしてみた。すると履修要件にはスペイン語の知識は「あればuseful」と書いてあったにもかかわらず、蓋を開けてみると私以外全員スペイン語ができる。教える母語話者は英語を解するが話さず、質疑応答もすべてスペイン語フランス語とロマンス歴史言語学と付け焼き刃のラテン語を総動員して努力を試みるも「えーtodosはtoutでmismoはmêmeだよな、algúnってsomeoneだっけ」レベルのお粗末な知識では分かるわけがない。まあ会話の2割ぐらいは訳してもらえたが。「もう数週もすれば授業は全部ナワトル語になるのでスペイン語ができなくても大丈夫」というお言葉のもと、久々に真面目に語学というものをやっていきたいと思っている。